新城氏へのメッセージはこちらまで
新城 忠氏

プロフィール
登録日:1999年12月10日
2003年6月1日にゴールド・インターナショナルダイヤモンドに昇格
※ゴールド・インターナショナルダイヤモンドは現在日本で2名のみ
※最高タイトルはプラチナ・インターナショナルダイヤモンド(日本に該当者なし)


これまでアパレル問屋の営業、高級会員制スポーツ・クラブの営業兼支配人として経験を積む。
その後、ネットワークビジネスと出会い、ある一社のネットワーク・ビジネスを経験する。
この時期にネットワーク・ビジネスへの確かな確信を得る。
現在日本のディストリビューターの9割近くが新城様から拡がったグループとなる。
毎月、全国を自分の足でセミナーを開催し、多忙な毎日を送る。
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■インタビュー








インタビューの模様


「写真をクリックすると拡大できます」




ユタ、コンベンションにて


沖縄、4LifeCEOと


ラスベガス、メンバーと


ソルトレイクシティにて


ディナークルーズにて


ボニーテーラーさんと


東京、オープニングセレモニーにて


フロリダ、パーティにて


ロバートソン博士と


アップ&ダウンと


ダンスパーティにて

セミナーでのスピーチの様子

■前職に付いて
ネットワーク・ビジネスに出会う以前の経歴についてお伺いできますか?
(職種、職歴など)

ほとんど営業畑で来ました。百貨店に勤務をしていた23歳の頃に、東京・大阪・名古屋・福岡などのメーカーの、主に百貨店を取引先とする、アパレル関係の問屋にヘッド・ハンティングされ、支店長として沖縄支店を約15年ほどみていました。
しかし、直接消費者に物が流れる時代が始まり、問屋の時代もそろそろ終わりでは無いかと感じていた頃、知り合いの社長が経営していた会員制のスポーツ・クラブに営業兼支配人として勤務することになりました。オープンして半年ほど経過していたクラブで、会員数は100名ほどでしたが、それまで営業面でいまひとつ成果が上がらない状態で、たまたまそこの社長から私に、このクラブの営業をして欲しいとの依頼があり受けることになりました。
当時はバブルの時でもあり、当時沖縄では唯一の高級スポーツ・クラブでしたので、入会金が150万という、入会を奨めて行くにあたっては、企業の役員の方々や、政界・財界のトップクラスの方を対象としていたので、20歳や30歳といった若い方では相手にされにくい難しい営業でしたから、その頃40代になっていた私に、「白羽の矢」として選ばれたのだと思います。
そして就任後、会員数650名の内、運良く450名は支配人になってから私が集めました。もし、そこにトップ営業マンがいたら、私は勤めることは出来なかったのでとてもラッキーだったなと思います。
そのぶん期待には応えられたかなと思います。(笑)


■凄い集客力ですが、どのように営業をされたのですか?

それにはちょっとした方法があります。別に私はトップの人を知ってるという事では無かったのですが、既に入会されている100名の方々をターゲットにしました。この方々とのコミュニケーションを計り、自分を売る事に徹しました。自分が信用されるようになった時、その方々と同等のレベルの方を紹介を出して下さるようになりました。


■その後そのスポーツ・クラブをお辞めになられたそうですが、どういう経緯でしたのでしょう。

10年程勤めた頃、バブル時代に陰りが出始め、全国の高級スポーツ・クラブが閉鎖され始めました。当然その波は私どものクラブにも押し寄せ、結果、経営者が変わることになり、今迄のクラブの閉鎖が決まりました。新しい人員でのスタートということで、支配人とは言え、いちサラリーマンだった私は、職を失う事となりました。その後このクラブは別の経営者のもとで存続していますので、唯一の救いは、私が声をかけた会員の方々に御迷惑をかけずに済み、当時の会員の方は今でも、文句も言わず「新城がんばっているね」と声をかけて下さいます。


■最初のネットワーク・ビジネスに入られた(目覚めた)きっかけは?

勤務先では、会議室の貸し出しをしておりました。そんな関係で、当然支配人ですから責任上、中でどんな事をやっているのだろうと入室し、様子を垣間見る事は出来ました。そこでは日々ネットワーク・ビジネスと呼ばれる形態のセミナーを開催していました。主催会社の会員の方から、話を聞いてくれと頼まれ、何社かの話を聞きました。1996年の夏、その中で、オリンピック選手も使っているという製品を売りにしていた、スキンケアとサプリメントの会社に会員登録をしましたが、支配人としての立場上、会社内で利益を出すわけにはいかないので、買った物を原価で社員や会員の方々に分けるといったような程度にしていました。

この頃、会社の経営があまり思わしく無いことは、うすうす分かってはいました。しかし他の社員を残して私が先に辞めるわけにも行かずじっと様子をみていましたが、この時すでに50歳近くになっていた私は、これから先はネットワ?ク・ビジネスしか生きる道は無いと思っていました。

その後、1997年2月、閉鎖による全社員の退職を期に、本格的にビジネスとして取り組み、半年で約1000人グループの構築をし、収益も上がっていたのですが、自分の目の届かない位置の人達がタイトルを上げるために買い込みをし、在庫を抱えているという事が分かり、このシステムでは、今後も被害者が出かねないと思い、かれこれ1年半程携わり月収も100万円近くありましたが、このネットワーク・ビジネスの会社を辞めることを決心しました。


■現在のネットワーク・ビジネス(フォーライフ・リサーチ)に入られたきっかけは?

一社目のネットワーク・ビジネスを辞めた後、1年3ヶ月のブランクがありました。どこか良い会社はないかと模索し、幾つもの会社を検討。その間に何社かに会員登録はしましたが、確信をつかめる会社に出会えず、ビジネス展開はしませんでした。
その理由は、私なりの「五つのポイント」という基準を設定しており、総べてが当てはまる会社ということで検討していたからです。
そんな中、現在のフォーライフ・リサーチと出会いました。

私に伝わるまでの経緯は、1999年にカリフォルニア在住のボニー・テイラー女氏から、沖縄出身でカリフォルニア在住の豊里氏に伝えられ、豊里氏から沖縄在住で旅行業を営まれていた、武道家でもあるシーサー・玉那覇氏に、この情報が伝えられました。この方が日本で初の登録者となり、私に紹介して下さいました。

玉那覇氏とは十年来の知り合いでしたので、話を聞き、調べた結果「これだ!」と思いました。この会社には、私の望む総べての条件が、一つとして欠く事も無く、揃っておりました。
1999年の12月10日に登録を済ませ、2000年1月に沖縄で30人の会員からスタートました。1年間は個人輸入の状態でしたが、3月には約500人に、5月には約1000人そして、その年の暮れには5872人になっていました。
2001年2月にフォーラリフ・リサーチ社が日本に正式にオープンし、その後も順調な伸びを続け、登録してから5年経過した昨年暮れには、私のグループで累計約70億円の流通がおこっています。


■フォーライフ・リサーチを選ばれた基準の「五つのポイント」とは?

五つというのは、
1)アメリカの会社であり、近い将来、日本に上陸出来る、力のある会社を選ぶ。
2)製品は消耗品しかやらない。結果が早く、分かりやすい製品であること。
3)システム…ボーナスプランはユニレベルしかやらない。
4)タイミング…できればまだ誰も知らないような早い情報であること。
5)アップライン…このビジネスで成功しているラインであるかどうかを確認する。

補足すると、製品においては、半年1年経っても良さが分からないような物では無く、出来れば1ヶ月、2ヵ月位で結果が出るものと決めました。また、耐久品は絶対にやらないと決めていました。高額商品は、お金儲けのビジネスになりやすく、売り買いの後の人間関係が希薄になりやすいからです。

タイミングも重要で、もう広がり切っているような情報では価値がなく、できればまだ誰も知らないような早い情報であることが絶対の条件でした。

タイミング的にラッキーだったのは、この会社は、アメリカも1998年の一月に設立したばかりでしたから、会社自体これからという時期でした。だいたいの外資系の会社は、米国オープン後、4、5年経ってから日本に進出してきますが、その場合だと、アメリカでも組織がある程度出来、アメリカからのラインも何本か複数で日本に入って来ますから、先に組織を持っている方が、どんどん拡げます。その点、私がこの情報を知った時、日本で知っている方は、伝えて下さった玉那覇氏以外はまだ無く、アメリカからの1本ラインで日本を拡大する事が出来ました。
それも、東京や大阪では無く、沖縄に先に情報が入ったと言うのも、非常にラッキーだったと思います。また、とても良いグループに入り、アップラインにも恵まれました。


■どのようにグループの拡大をされていったのですか?

どのグループに入るかと言う事も決め手の一つです。やはり十分なフォロー体制のあるグループに入らないと、早い成功は難しいと思います。私の場合は、アメリカのアップラインである豊里氏が、沖縄に2ヵ月間マンションを借りて、私がお連れする方々にセミナーを行なってくれました。私はそこで司会を担当しながら、彼がどんな話をするのかを学び、それをコピーしながら覚えて行く事が出来ました。2ヵ月が経ち、彼がアメリカに帰る時には、私が紹介した名古屋、福岡、東京に寄って説明をしてくれましたので、ある程度の組織が出来ていました。私は3月の中旬から全国展開を始めましたが、2ヵ月半の間には既に沖縄をはじめ、地方の首都圏で既に組織が出来ていましたので、とても早かったのです。ゼロからスタートして、たった1本ラインで、その年の12月には、5872人になり、3億円の流通になっていました。この数字は今でも忘れられません。


■組織を拡げる上での苦労はありましたか?

振り返ってみますと、最初の半年くらいは十分な日本語の資料も無い為苦労はしました。いきなり会社が大きくなると、コンピューターも追い付かなくなり、アメリカから製品がどんと送られてくると、その配達がスムーズに行かなかったりということも多々ありましたので不安がる人もいました。
でも私は、そのメリットとデメリットを比較した時に、メリットの方が大きいと判断し続けて来ました。ですから、同じ情報を知ったとしても、うまく活用出来た人と、出来なかった人では、成功への道は、大きく別れたと思います。
それがネットワーク・ビジネスだと思います。


■最初に携わったネットワーク・ビジネスの会社から学んだことは?

先にもお話しましたが、フォーライフを始める前一社だけ、ビジネスに参加しました。そのネットワーク・ビジネスの会社に私は、今、ありがとうと言いたいです。
何故なら、その会社でネットワ?ク・ビジネスの善し悪しが判ったからです。
その会社はタイトルをとる事が優先の会社でした。後になって判った事ですが、ネットワーク・ビジネスはタイトルでは無く、まず組織をつくる事が優先で、その後にタイトルは自然とついてくるものなんです。

タイトルを先に追いかけると、そのためのノルマや買い込みが発生します。
もし、かりに自分がうまく行ったとしても、皆はうまく行かないといった事になります。当然組織は末端から崩れます。
また、その会社で成功しているというタイトルの人が、会場費を500円とか、
コピー代10円とか、小さなお金の徴集を、事あるごとにしているのを見て、
私は成功したらこういう、ちまちました事は絶対にしないと思ったものです。

その善し悪しの経験の、良い部分だけをフォーライフに持って来て活かしたので、うまくいったのだと思います。その経験が無かったらこんなにうまく行かなかったかも知れません。そう言う意味で本当に感謝しています。


■ 以前の営業関係の業界とネットワーク・ビジネスの業界ではどんな違いがありますか?

もう全然違いますね。以前の三十年は、ほとんど頭を下げる仕事でした。百貨店の場合は、お客様の後ろ姿に向かってありがとうございますと言い、問屋の時代でもメーカーから商品を買う時も、小売店に買って頂く時も常にありがとうございますという世界でした。会員制のスポーツ・クラブ時代も、それはそれは大金の入会金を払って頂いているわけですから、今まで以上に深く頭を下げていかなければいけないわけですよ。

ところがこのネットワーク・ビジネスは、頭を下げる必要はないんですね。
良い情報を沢山の方に伝えるだけですから、別に商品を売るわけでも、強制的に会員にさせるわけでも無いし、この情報が皆さんの為に良い情報であれば、どうぞ活用して下さいと言うだけですから、頭も下げませんし、ストレスもたまりません。

ところが本当に良い情報であれば、製品を飲んでみたいとか、使ってみたいとかいうことを、相手から言って来ます。特にフォーライフの製品の場合は、結果が早く出るので、試した人からありがとうと言って下さるような状態です。何処に行ってもそういった状況ですから、前職とは雲泥の差があります。
だからといって威張るわけでは無いのですが、頭を下げなくて良いというのは最高ですね。

ネットワーク・ビジネスは年令も職業も学歴も関係なく、雇用関係も無いので、命令口調になったりする事も無く、平等な立場で接する事が出来ますから素晴らしいですね。
私のアップラインは私にありがとうと言います。
私もこの情報を伝えて下さったアップラインに感謝しています。
また当然私も、輪を拡げて下さったメンバーの方々にありがとうと言います。
それぞれの立場で、お互いが感謝しあえるという環境は、素晴らしいと感じています。こういう環境は、今の世の中にはなかなか無いと思います。
これは大きな違いです。


■もし今のネットワーク・ビジネスをやっていなかったらどんな方面に進んでいたと思いますか?

前のネットワークを辞め、フォーライフに出会うまで、一年半のブランクがあり、その頃、息子は北九州大学に入学して二年生でした。
収入も減り、その息子への仕送りがなかなか難しくなって来ました。
結果、彼もアルバイトをして大学に通うはめになってしまいました。
彼が1999年8月の夏休みに家に帰って来た時、私に手紙を書いて持って来ました。お父さんに、口では言えないからということでした。
こんなことは初めてのことですし、よくよくの事だったと思います。

内容は、お父さんが今後やろうとしているネットワーク・ビジネスだと、お母さんもとても心配するだろうし、タクシーの運転手でも、ガードマンでもいいから、何か定期的な収入の入る仕事を持って欲しいということでした。
みんなを不安にさせないで欲しいという内容のものでした。
あの頃は家族も、こういう(ネットワーク・ビジネス)のは難しい、大変な仕事であり、将来性も無いと思っていたのです。とても不安だったのでしょう。

息子の前でその手紙を読み終えた私は、そこに妻と娘を呼びました。
そして言いました。「今、こういう手紙を貰ったんだけれど、大変みんなに心配かけて申し訳なかった。でもお父さんには夢があるんだ。このまま人生を終わりたく無いから、来年の3月まではどうか目を瞑って欲しい」と。
この時、実は何の当ても無かったんです。しかし、その頃までには何とかしたいという思いだけがありました。その3ヵ月後にフォーライフ・リサーチとの出合いがあったんです。
約束の3月までには、既に全国展開を始めていましたから、私は結果を出すことが出来たのです。でも始めた当初はまだ自信が無かったので、もしものことを考えてタクシーの免許を取りにも行きましが、見事落ちまして、しかも運良く2回落ちました。もし受かっていたら、今頃はタクシー乗務員になっていたかも知れません。
フォーライフ・リサーチとの出合いが無ければ、本当にガードマンになっていたかも知れません。沖縄では50歳を過ぎたら新たに仕事につくのはかなり難しいのです。建設や工事が無ければガードマンの仕事もなくなるだろうし、夜逃げまではしないにしても、多分大変な人生を歩んでいたのではないかなと思います。

■時間の使い方についてお聞かせ下さい。

■一日の時間配分

2、3ヵ月前に自分で全てのスケジュールを出し、そこに皆さんのスケジュールを合わせて頂きます。
例えば、東京は何日から何日、何曜日は何処何処、福岡は何日から何日、といった具合に予定を組みます。今回も13日間の予定で家を出て来ました。

昔は電車利用が多かったのですが、最近は飛行機利用に変えました。
マイレージもつくし、それと、お陰様で、日本航空からJALグローバル・クラブ(JGC)のダイヤモンドメンバーというのを贈られました。これは3種類ある中で最高ランクのメンバーで、年間120回以上飛行機に乗る人を対象に送られる資格なんです。私はフォーライフに入って年間に140回以上乗っています。
これには色々な特典がついていて、チケットのバーゲンフェアーなどでは、一般では発売当日に朝から並んだりして購入しますが、このメンバーになると2週間前には、最低2便の先行予約が100%とる事が出来、一番遠い沖縄から北海道までの往復券は、これで事前におさえます。通常の半額以下で買えますし、インターネットを使って調べ、空席のある便なら幾らでもおさえることが出来るので大変便利です。仮に、5.6回飛行機に乗ったとして、金額にすると10万円くらい違って来ますね。大きな違いで行動範囲も広がります。
そういった特典を利用して、二ヵ月前にスケジュールを組んでいます。


■過去と現在では、時間配分はどのように変わられましたか?

過去/
今から二年くらい前までは、一日二回、説明会を行っていました。
福岡からスタートして博多でセミナーを終えた後、夜は北九州、翌日広島でセミナー終えた後、四国に飛んで、また戻り、夜は岡山でセミナー、翌日大阪でセミナーを終えた後、夕方京都に入ってまたセミナーというように、半日ずつ県を跨いでいました。二週間位の間で約20ヶ所のセミナーで、時には毎日6時間話しっぱなしで、沖縄から北海道を縦断することをずっと続けていました。

現在/
大きな違いは、一日二回というのは、せいぜい二週間に二回か三回くらいになりました。その分、行った先で少し時間が持てるようになり、美味しいワインを飲みながら、土地土地の美味しい料理も楽しむことが出来るようになりました。
そして中でも一番楽しい事の一つには、人と人との出合いの時間を沢山持てるという、フォーライフならではの独特な良い雰囲気があります。

沖縄に「いちゃりばちょうでえ〜」という言葉がありますが、
これは、「出会ったら兄弟」という意味で、全国に本当に沢山のフォーライフ兄弟が出来ました。これは本当に素晴らしいことです。


■グループの方とどのようにコミュニケーションをとっていますか?

夜のセミナーの後にはだいたい二次会を設定して頂いています。福岡、大分、釧路、札幌、仙台あたりは、居酒屋的なところを貸し切って集まります。
平均で30名位で、多い時は60名位の懇親会になります。セミナーでは私が一方的に話していますが、そこではお酒を飲みながら、わいわい楽しくどんちゃん騒ぎまでするといったことになります。今年の始めのも、福岡で150名程の新年会があり、呼ばれて行きました。そういった会では、その中に成功している方が何名もいらっしゃるので、そういった人達が中心となって、会費は3000円でも、内容は10000円以上のものを用意するような努力をして、始めたばかりの人でも参加しやすいように配慮してくれています。

<成功と言うことについて>

■人は新城さんを成功者と呼びますが、これに対してどう感じていらっしゃいますか?

皆さんは、私を「ミスター・フォーライフ」と親しみを込めて呼んで下さいます。
これはとても嬉しい呼ばれ方ですね。成功したと言う気持ちより、今私があるのは皆さんのおかげだという気持ちの方が強いです。
皆さんが一生懸命伝えて下さったからです。
ほんとうに心から「ありがとう」。


■なぜ成功出来たと思いますか?

何といってもフォーライフのトランスファー・ファクターの製品力です。
本当に素晴らしい製品だからこそ私のグループも10万人を超えることが出来ました。ここ、二、三年は、気持ち的にはボランティアです。
この商品を皆さんに伝える事が人助けなのです。人が助かるんです。
ですから、良い体験談が目の前に沢山出て来ます。
そういった製品への確信が私を成功へと導いて下さったのだと思います。
製品について少し補足しますと、トランスファー・ファクターは、世界最強の免疫強化健康食品で、フォーライフ社の特許製品です。米国医師の90%が持つ、PDRという医学参考書に初めて掲載された健康食品でもあります。
アメリカではフォーライフのリーダーの25%が医療関係者です。 

また、ロシア保険省は2004年10月から病院や、診療所で使用する事を許可しています。そういった経緯から日本でも、福岡の聖マリアンナ病院・母子総合医療センターで、母乳の持つ免疫について研究されている橋本先生(日本母乳の会運営委員長)をはじめとする、様々な病院、またその他医療関係の権威ある方々もこの製品を認められて、現在、各場所で医療関係の方々を集めての勉強会を行なっています。
ロシア保険省から 沖縄コンベンション

私も今年の1月に福岡の聖マリアンナ病院から「トランスファー・ファクター製品を日本に伝えたキーマン」ということで説明をして欲しいという依頼を受け、出向いたところ、会場には70名ほどの医療関係者がお集まりでした。また、2月と3月には、大分の病院でも説明を行ないました。
この春5月、沖縄で開催されるコンベンションでは、免疫学の権威・新潟大学大学院医学部教授である安保 徹先生の特別講演も予定されています。

※トランスファー・ファクターは母乳、なかでも初乳に多く含まれる母から子に伝えられる最も重要な免疫情報伝達因である


■自分にしか出来ないと思うこと、また、誰にも優ると言えることはありますか?

この情報なら誰にでも出来ると言っています。特別な知識もいらないですし。
他のメーカーも同じだと思いますが、ネットワーク・ビジネスで成功する人は、間違い無く素直な人です。相手の話を良く聞いて、信じて疑わずです。
私は素直だと思っています。(笑)人を信じるあまりに失敗した事もありますが。


■自分は他の人と大きく違うと思う点はどんなところでしょう。

こまめに努力をしていることでしょうね。日々何ごとにも。
ネットワークに限らずとも、与えられた仕事をいかに努力するかだと思っています。
また、人がやりそうにない事に挑戦したいという気持ちも持っています。
以前の沖縄コンベンションの時に、私のスピーチでも言いましたが、ナポレオンの「世の辞書には不可能と言う文字は無い」という言葉が大好きで、出来ない事は無い、やれば必ず出来ると言う精神を持っています。
これが私のポイントだと思います。


■どんな差が成功者とそうでない方の違いを生むと思いますか?

努力ですね。何においても努力し、行動する事です。
フォーライフのビジネスは「動いた分だけ収入がありますよ」と、経営者のデイビット・リゾンビー会長が言っていますが、私もそう思っています。
他メーカーでは、動かなくても収入はあるような事を言う方もいますが、行動が伴ってこそ、真の収入があると思います。
特にユニレベルの場合にはそうなります。

例えばサラリーマンが三倍働いたからと言って、収入が三倍になるということはありませんが、このビジネスは三倍になる可能性があります。
事実私は、それを体験して来ました。当時、スポ?ツ・クラブの支配人をやっていた頃の収入と比較しますと、年収では十倍くらいになっています。
しかもこれで終わりでは無く、これ以上になる可能性があるので、日々努力を続けています。


■これは「失敗」と思ったことはありますか?
  またそこから学んだことは?

失敗とは言いませんが、あまりにもボランティア精神が激しい為に出て来た反省点はあります。何段階下の人達のところへも頼まれれば、入って行ってフォローするというのが私の心情なんですね。自分も当初、一人から始めたビジネスで気持ちがわかりますから。
ある方に是非来て欲しいと依頼を受け、飛行機で指定された場所に行ってみると、二人しか集まっていなかったんです。
「まあ、今回は二人でしたが、また来ますから努力して下さいね」と言って帰りました。仏の顔も三度まででは無いですが、その次の時も、二人しか集めていなかったんです。その人に本気で集めようと言う気がなかったんですね。

人を信じるあまり、過去にこう言った事が幾度かありました。
口でがんばっているふりをする人がいることがわかりました。
その事は、失敗と言うよりは、反省として心にあります。
ある程度組織をつくる努力を、その人がしていなければ、結果は出てこないんですね。
そういった所には二度と行きませんし、無駄な時間と無駄な経費を使ってしまったなと思いました。
今は、データーを見てわかりますから、本当にかんばっている人の応援にその分力を注ぎ、行くようにしています。その事に気付いて今があります。
いい教訓になりました。


■メンバーを育てるものは何だと思われますか?

私自身は、育てるという感覚は持っていません。
自分自身はリーダーだと思っていませんし、教育者だとも思っていません。
よく、自分がリーダーだから俺にについてこい的な事を言う人もいますが、私は、そういった言い方をした事は一度もありません。
別に私は偉くも無いし、たまたま先にこの情報に出会って、先にタイトルをとっただけの話しであって、違うタイトルでもみな同じ立場なんですよ。
このビジネスに上下関係は無いんです。

要するにこのビジネスの情報を伝えているだけなんですよ。
するとすれば、自分が見本になる行動をします。
そして、私と同じ事をやってみませんかと提案します。
やる、やらないは、相手が決めることだと思っています。

うまく行っている人のやり方を見て、それぞれが成功に必要だと思うエッセンスを掴めば良い事なんです。先に、私があげた五つのポイントなどもそうですが、それも、ポイントを一つづつクリア?にしていけば、成功に近くなりますよという提案にすぎません。


■人から教えてもらった(気付かされた)ことはありますか?

ここ5年やって来てわかった事は、「沖縄から始まって全国に拡がって来たんですよ。私は高校しか出ていませんけど、それでもこれだけ成功する可能性があるんですよ」という話を、何処に行ったときにも繰り返して来ましたが、聞く人や地域によっては、思わぬ反応があると言うことです。

ある日の東京セミナーで私は、同じように話しました。
大学を出ていなくても、アメリカンドリームを掴める可能性がある、という意味で学歴や出身の話をしましたが、それを聞いただけで、私がどういう人間なのかなども抜きにして、「なんだ沖縄の人がトップなのか」というような反応をしめし、私は沖縄の人の下につきたく無いから嫌だという人がいました。
また、韓国でセミナーをした際に「なぜ新城さんは大学に出なかったのですか?」と質問を受けました。私はよくよく話を聞いてみると「ああそうなのか」と思いました。
韓国という国は、例え、育った環境がどんなに貧しくても、どんな事があっても、自分が大学を出る努力をするのが当たり前だという考えがある国なんです。

同じ話をしても、感動してくれる地域と、そうで無い地域があるという事が、後になってわかりました。それからは、非常にプライドの高い県民性、あるいは、ある考え方が根付いている国民性のある場合、こういう話しは良いとか、悪いとか、内容を考えながら話すようになりました。

同じ話をしても、プラスにとらえる人と、マイナスにとらえる方がいます。
マイナス思考の方は成功しませんから、私にとってはどうでもいいことなんですが、なるほどねと思った経験です。
ある意味こういう事も人に気が付かせて貰うことだと教えられました。


■人を魅了する人ってどんな人でしょう?

明るく楽しく素直で、威張らない。地を出せる人。
そして、事実だけを素直に話せる人でしょうか。
その言葉の中に嘘があっては駄目なんですね。
嘘はすぐにばれちゃいますからね。


■外見的に注意すべき点はありますか?

身だしなみは大事ですね。このビジネスはやはり、一人ではありませんので、グループでの活動も大きくなってきますから、その人達の服装も大事になってきますね。
通常のセミナーとは別に、年に何回かビジネスセミナーというのを行なっており、その中で話しています。作業着が悪いと言う事では無いのですが、見た目で判断される場合もありますから、小奇麗な服装をしましょうと。
極力ネクタイを絞めて頂いて、といっています。

しかしそうはいいつつ私は、沖縄出身なので、私は夏場においては、「かりゆしウエアー」というのを着ています。アロハシャツに似ていますが、そうではなく、これは幸せのウエアーと呼ばれ、沖縄の県知事はじめ、官庁関係、銀行、証券会社がみな奨励している、沖縄独特の制服なんです。それを着て全国を廻っています。ほとんどのみなさんが理解して下さっていますが、いろんな方がいますので、セミナーを始める前に、沖縄の制服であるというお話はさせていただいています。


■出来る人というのはどういった人でしょう。

日々努力している人ですね。自分のためよりも、ダウンの方のフォローを一生懸命やっている人が、成功しています。そう言う方は、こまめにスケジュールをつくっていますね。


■出来る人の視点とは?

この会社の将来性に気付くこともそうですが、出来る人は先々のことを見る力をもっていますね。やって来た事に結果が出ていますからそう言う方は、収入も当然あがっています。先ほども話に出ましたが、福岡日航ホテルでの150名のパーティーは、会費は3000円でしたが、実際の内容は10000円くらいの物であったということは、その差額を誰かが出してくれているんです。
お金の使い方一つにしても、自分の欲しいものばかりを買って満足するのでは無く、メンバーを喜ばせるために使える人は、先を見越した判断が出来る人だと思います。言い換えればそれが、出来る人の視点だと思います。


■リーダーの資質とは?

私が今あるのは、ダウンのみなさんのおかげだと思っており、有限会社を作ったのも、そう言う方々のために、いろんな経費を使いたいと思ったからです。
一昨年は全国の130名の方々と一緒にハワイのコンベンションに参加しました。
会社のパーティーの席ではアルコールが出ませんので、二次会のパーティー会場にはアルコールも用意して、そこに全員を招待ました。
150万円ほどかかりましたが、全額私が出させて頂きました。
日頃の皆様に対する「ありがとう」の還元の気持ちを持ちたいと思って、そうしたのですが、皆さんに大変喜んで頂き、それがまた私も嬉しく感じました。
また、今度の沖縄のコンベンションでの抽選会の景品として、4名を招待する経費を出させて頂きました。
こういうことを私がしているのを見て、グループの福岡の方で、そういった経費の使い方を同じようにしている方が二人います。これはとても嬉しい事です。
リーダーになる人は、物事の善し悪しの判断がつき、コミュニケーションが十分に出来、成功者の良い部分をコピーして、次につなげて行ける能力がある事だと思います。


■今までにネットワーク・ビジネスを経験してきた人と、初めての人の違い(長所・短所)はどんなところですか?

私も以前のネットワーク・ビジネスの良い部分の経験を活用し、今があるわけですが、どの会社に携わったかによっても違いますね。あおるやり方をするメーカーもあります。それもひとつのビジネスの方法ですから、否定はしませんが、そういった所で、四、五年経験して、ままある程度の成功をしてきた人で、過去と同じように、あおるやり方でフォーライフをやってしまい、失敗した人がいます。

フォーライフには、若い人も少ないですし、あおったところでうまく行きません。私はそういう方法はとっていませんが、いくらダウンとは言え、その方法は間違っているよとは言えないんです。
このビジネスは、自分から始まるビジネスですから、やり方はそれぞれのやり方になりますので、深くは見えない部分もあります。
私から見てその方法は、フォーライフに合わないと思っても、その人が素直になって気付かない限り仕方がありません。

例えば、ある大手の代理店システムの会社を経験されて来た方は、みなさんこつこつやるのですが、その会社独特の、個人個人の代理店のおつき合いや、ディストリビューター同士が仲良くなることをさせず、人と人を競争させながら売り上げを伸ばしていこうとするやり方と同じように、フォーライフでやってしまう人がいます。フォーライフでこれをやってしまうと良い結果がでません。
私は兄弟ラインでも仲良くしましょうと言うことで伸ばしていますが、アップとダウンのコミュニケーションを取らせないようなやり方をすると、悪くは喧嘩が始まってしまい、人間関係で、誰ともうまく行かなくなってしまう傾向があります。
過去から引きずったまま、この会社に合わない方法を、改善せずそのままやってしまうという点は、経験者ゆえの短所です。

経験者とそうで無い人で、どちらが早く成功するかという点において言えば、やはり経験があって、過去の失敗を教訓にしてチャレンジしている人が早いと思います。そういう人は、頑張り方を知っていますので、早い段階で収入を取るようになって来ます。そうすると辞めることも無くなります。
反対に、経験が無い人達は、収入という事よりも、ビジネスよりも、まず、人に伝えようということで、話しやすい愛用者レベルで広げようとします。
一生懸命に素直で、それはある意味長所と言えますが、またその先も、愛用者に繋いでいくので、時間がかかり、収入にもなりにくく、結果が出る前に力つきてしまう人もいます。早い段階でそう言う事に気がつき、次のステップに抜け出すことです。


■成功するのに一番大事なことを一言でお願いします。

良い情報を伝え続ける事。
商品なり、会社なりに確信を持ったら、その情報をいかに多くの方に伝え続ける事が出来るかどうかだと思います。これがある意味ネットワーク・ビジネスの成功に結びつくのだと思います。



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メルボルンの旅、家内と


メルボルンの旅、へり体験


ニュージーランドにて


ニュージーランドにて


ニュージーランドにて


シドニーの寺院前にて


ハワイ、ワイキキビーチにて


ハワイ観光にて


ハワイ観光にて


ハワイ、娘さんと


島根、フクロウ館にて


沖縄、トローリングにて


北海道の旅


ラスベガスより

■プライベート編
<新城様 成長の歴史>

■昔をふりかえり
子供時代

■小学生頃の性格は?

普通の子供で、特にガキ大将というわけでも無く、素直でした。
下に、妹と弟で兄弟が、4人いましたので、兄弟思いの良いお兄ちゃんだったのではないかな(笑)
ただ、貧しかったものですから、小学校の頃からバイトをしていました。
新聞配達、ヤクルト配達、あるいは家内工業的なところで味噌・醤油を計る手伝いをしたりしました。高校時代は、射撃場でも働きました。
アルバイトは小、中、高校とずっとやりました。そのことで家計を助けるお金の為と言った事よりも、多分私は、バイトに行くと、オーナーがいたり、従業員の人がいたりして、いろんな話をする事がとても楽しいというのがあって、行くのが楽しかったんですね。
今思えば、そこで学んだことがとても、私の人生にプラスになっていて、家が貧しくて良かったなと思えます。


■夢中になっていたことは?

とても負けず嫌いでしたから、小学校5年生の時から水泳を始めまして、中学校1年生の時には、全日本全国中学通信競技大会の800メートルで全国1位になりました。800メートルという距離は、中距離になりますので、当時中学生では挑戦する人が少なかったのかも知れませんが。
それから、沖縄の高校の1500メートル自由形の高校記録を7年間、破られずに保持していました。
その後、前職のスポーツ・クラブに入るまでには、かなりのブランクがありましたが、入ってからは、いつもプールがありましたので、毎日泳げますから、トライアスロンをやるようになり、48歳の時には、宮古島トライアスロンを完走しました。世界大会で水泳で3キロ、自転車155キロのフルマラソンなんですが、これを完走したというのは、自分の一生の内のちょっと威張れる部分だと思います。

700名ほどいました中学校の同級生の中でも、完走した人は一人か二人しかいないんじゃないかと思います。そもそも参加する事が難しい大会でしたね。
もともと水泳が好きでしたので、40代後半になっても、また泳ぎはじめると、昔の泳ぎがよみがえって来て、次には石垣島トライアスロンにチャレンジしました。120チームくらい参加する大会で、ひとり参加と、ファミリー参加と言って、3人一組で参加する二つがあります。最初はひとりで参加していたのですが、どうせなら優勝したいと思い、自転車の早い人と、ランニング担当の足の早い人を探して、5回参加した大会のうち、優勝2回、準優勝を3回とりました。
水泳が最初の種目になりますので、責任もあり気合いが入ります。
私の泳ぎの結果は、一番悪くても3位であがり、ほとんどがトップでした。
レスキュー隊のような筋肉もりもりの若者を相手に競泳しましたので、50代のこんなおじさんが先にゴールして海から上がってくるのを見て、みんな驚いていました。(笑)

水泳を続けて来てよかったなと思います。
何か一つでも人より優れているものがあると、自信につながります。
そういった経験があって今があるんじゃないかなと思います。


■どんなふうに育てられましたか?

親はいつも「お兄ちゃん、家は貧しいけど、兄弟みんなで頑張れば、いつかは幸せになれるよ」って。そう言うだけで、他にああしろこうしろとか、なにも言いませんでした。私は、自分の好きなことをさせてもらいました。


■好きな言葉はなんですか?

「世の辞書に不可能の文字は無い」ナポレオンの言葉です。


■影響を受けたおすすめの書籍や映画などは?

本はあまり読みませんでしたが、洋画が好きで中学校の頃から映画は良く見ました。スクリーンという映画関連の雑誌などはよく買って見ていましたね。
あの頃は、アメリカナイズされた生活をしたかったんですね。
例えば、レディ・ファーストを覚えてみたりですとか…。
ダンスも好きだったので、映画の中でも、「ウエスト・サイド・ストーリー」は凄く好きですね。それから「ベン・ハ?」や「十戒」もお薦めの映画です。


■有限会社 福路有(ふくろう)とは、とてもユニークな会社名ですが、由来は?

会員制のスポーツ・クラブの時代に、ある病院の医院長先生が入会された時、
その病院の上にフクロウの絵が書いてあったんです。
「先生あれはなんですか?」と伺うと、先生は「あれは当て字なんですが、うちの病院はこれから高齢者が多くなってくるので、福の老人という意味で、老人のケアーをして行きたいんです。福の老人「福老」、を沢山つくりたいと思っているんです」という事でした。

なるほど、それはとても良いアイディアですねという会話をしました。
それから私もフクロウという漢字を考えてみると、いろんな当て字があるんですね。苦労がないようにと、不苦労だったり…。

そうこうして、いよいよ勤務先の会社が駄目になってきたなあという時、
ある刑務所の中で、年一回、全国の受刑者が作った色んな手工芸品を販売している場所があり、そこに出向いて展示物を見ていたら、その中に、どこか東北で作られた木彫りのフクロウを見つけたんです。
なんとなく引かれそれを買ってから、私の運命が変わったんです。

世界でフクロウは幸せを呼ぶ鳥として知られています。
有限会社 福路有(ふくろう)は私が考えた当て字ですが、字画も考えて付けました。
それからと言うもの、行く先々でフクロウを見つけると、つい買い増してしまい、わずか四、五年の間で、300点くらいになりました。
置き物だけで無くて、アクセサリーやネクタイなどフクロウ・グッズも沢山になりました。
棚がいっぱいになって来たので、最近はアンティークやオリジナルで一品物の珍しいフクロウを見つけた時に買います。メンバーの方も私のフクロウ好きを知っていますから、見つけると買ってしまうらしく、色々プレゼントして下さいます。私の鞄には、みなさんから頂いたキーホルダー等が、30本以上ぶら下げてあり、知らない方から見ると、チャチャラ音がうるさくないのかと思われるかも知れませんが、私には、みんなの気持ちがこもった、嬉しい響きです。
  
(※今日の新城様のネクタイは勿論、フクロウの絵柄、この他にも20本ほどお持ちだとか。出張に行く先々で、何故か呼ばれるようにフクロウに吸い寄せられて行くそうです。不思議なくらいに。出会ったら買うしか無い!)

■現在のライフスタイルについて伺います〜

■サラリーマン時代と現在では、金銭感覚は変わりましたか?

スポーツ・クラブの支配人をやっている時にまず、変わりました。
当時、会員の人は裕福な人たちでしたから、かりに、私が1000円使うとしたら、その人は10000円使うという感じでした。一桁金額が違うと言うのにびっくりしましたけど、それが今、近くなって来たかなと思います。
かといって、何かブランド品を買ったり、大きな買い物をするわけでは無く、
全国を廻ってみんなと美味しい物を食べるのが楽しみです。
自分の身に付けるワイシャツは1000円の物しか買いませんけど、フクロウに関しての、金銭感覚は麻痺していますね。(笑)

百貨店にいましたので、服を見る目は多少ありますから、安くても着こなしが出来るものを選んで、それが自分に似合っていれば、高いもので無くてもそれでいいと思っています。ところがフクロウとなると、金額は関係無くなってしまうんですよ。例え、何万であっても、フクロウが買って欲しそうにしていれば、買わずにはいられないんです。大きな違いですよね。


■お金についてお聞かせ下さい。
  一円も使いたくないお金とは?

質問の意味と少し違うのですが、正確には一円も余分に使えなかった時代があります。フォーライフを始めた頃は、ほとんどお金がありませんでした。会場費も出せないような状態した。
当時、マクドナルドで半額セールをしていまして、そこで説明や、ABCをやっていました。60円のハンバーガーを一つ買って、飲み物は、お金が勿体無いから水を貰って済ませ、これを昼食にしていました。
相手の方にはそんなことは出来ませんから、好きな物をどうぞと言いましたが、マクドナルドですから、御馳走するにしても大変安くついたんです。
主張の時も、宿泊はカプセルホテルで、食べるのは、駅の立ち食いだとか、ファーストフードでした。それを、半年から1年くらい続けていました。
今はめったにそう言うところに入りませんが、当時はこれが当たり前でした。


■また費やしても惜しくないと思うお金とは?

先ほどのフクロウと、フォーライフを拡げて行く人たちの為の経費です。
資料代金だとか、サンプルだとか、そういったこまごましたものは、全部私は無料で差し上げています。また、会場費だとかもそうですね。

また、製品も試供品として会場で配るので、一つのセミナーで6000円の商品が一瓶空になりますから、全国をまわると製品だけでも5万円くらいとんでいきます。ですが、結果の早い製品ですので、会場で体調の悪い人の役にもたつので、これは今でもそうしています。


■今一番投資したい事はなんですか?

私は水産高校を卒業しました。当時、将来は商船大学を出て、船に乗って世界を廻りたいなあという思いがありました。その夢の中の、世界を廻ると言うことは、ある程度今は叶えられたので、あとは、クルーザーを買って、松方弘樹さんじゃないですが、自分の船でかじき釣りなどをやってみたいなあと思っています。釣りは好きで、実際に今も年に何回か釣りに行っています。
それと、今の家が築30年経っていますので、建て替えもそろそろ一つの計画に入れてもいいなあと思っています。

<健康について>

■ 自社製品の愛用はもちろんでしょうが、その他健康で気を配っていることは?

自分だけではなく、家族・親戚の健康も考えます。
ですので、両親をはじめ、兄弟の家族にもフォーライフ製品を無料で配っています。総勢20名くらいいますので、我が家の分を含めますと、毎月10万円くらいは使いますね。
そのほかこれといって特に何かしてはいませんが、製品のおかげでみんな元気です。


■番外編

■今後日本におけるネットワーク・ビジネスはどのようになっていくと思いますか?

今はまだ、一、二割りくらいの人達しか、やってみようと言うところまで達していないと思います。世の中の半分くらいの方が、いまだに、ねずみ溝じゃないかと、拒否反応をおこしているようにも思います。
しかし、世の中の不況が続き、相次いで会社が倒産する時代に、
この業界は、頑張ればサラリーマンの3倍4倍の収入の可能性があるわけですから、今、何かを探している人が、ネットワーク・ビジネスに気付いていくでしょう。今後はそういった、今までネットワーク・ビジネスを知らなかった人達が、どんどん参入して来そうな感じがします。

フォーライフにおいては、お医者さんが薦める健康食品ということで、今度の沖縄のコンベンションには医療関係者の参加がかなり多くなる予想ですから、ますます一般の人もやりやすくなると思います。


■今年の豊富をお願いします。

沖縄コンベンションを成功させる!
いかに沢山の方に参加していただけるかです。


■最後に、これからネットワーク・ビジネスを始める方へのフリー・メッセージ

ネットワーク・ビジネスを「知ってるか」「知らないか」という二つに別れます。
ネットワーク・ビジネスを始めるかどうかは自分で調べるしか無いんです。
インターネットで情報を調べるとか、あるいは、ネットワーク・ビジネスの本を読んでみるとか、あるいはちょっと参加して体験してみるとか。どういうものかが、まず、わからないと難しいので、自分なりに調べてから始められたら良いと思います。あせらないで、自分の納得の行く、会社を選びましょう。


■フォーライフ・リサーチを始めようと思っている方へのメッセージ

フォーライフを始めたいと思う方は、また別ですね。
本当にこの商品がいいかどうか、まず自分で体験してみて良さがわかったら始めればいいと思います。いくら私が製品が良い良いといっても、本人が良さを実感しなければ、確信にはなりません。まわりの方々にもどんどん飲んで頂いて、どんな結果が出たかを沢山聞いていけば、それが確信になり、自信がつき、話しやすくなって来ます。
特にトランスファクターは結果の早い製品ですから、ネットワーク・ビジネスを選ぶ時の答えも早く出るでしょう。


■おわりに


この季節に桜の花を見ると私は思う。
この見事な花は、翌年もまた時期が来れば可憐に咲いてくれる。
私はこの花に聞いてみたい。
花よ、今年は貴方の意志なの?それとも神の意志なの?それとも…。
もちろんその答えは誰もわからない。
人々はこの壮大な自然に、さらなる挑戦の意欲をどれだけ授かったことだろう。
人にもまた花は咲く。
しかし成功と言う名の花は、咲かせたいと願った人にしか咲くことは無い。
苗のまま萎れるものや、もう少しのところでつぼみのまま枯れる樹木もある。
どんな花を咲かせるかは、その人の行動によって決まる。
開花の時期は様々でも、自分の願った通りの花が咲く。

多くの成功者に学び、空気の綺麗な場所を選び、環境を整え土を耕し苗を植え、来る日も来る日も水をやり、まだ見ぬ美しい花の姿を心に鮮明に描き続ける。どの行程も一つ欠けたら来年の花は咲かない。

新城氏は彼の人生をかけて大輪の花を見事に咲かせた。
彼自らが手本となって大地に根をはり幹となり、枝葉に栄養を分け与え続けているからこそ、次々に芽吹き、つぼみとなって時を待っている。
やがてこの小さなつぼみ達はそれぞれに思い通りの花を咲かせることだろう。
この素晴らしい会社、フォーライフ・リサーチと共に。


今回は、フォーライフ・リサーチ・ジャパンの一方ならぬ御協力があり、麻布のオフィスで取材をさせていだたきました。この場をお借りし、心より御礼申し上げます。また、新城氏におかれましては、東京出張の貴重な時間を私どものために割いてインタビューをお受け下さった事に心より感謝いたします。


Photo by Jun Inaba
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ネットワークビジネス・ ライター
interviewer & editor
Eiko Ishisone
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